柴田町で感じた「年代の谷」 25〜34歳が減っている理由を考えてみた
七ヶ浜町に住んでいる私が、春になるとつい足が向くのが柴田町。
桜を見に行くだけのつもりが、毎年どこかで気になることがある。
観光の熱気に紛れて気づきにくいけれど、暮らしの空気に静かに現れるのが「人の年代のかたち」。
今回は、柴田町の中でも25〜34歳の層が目立って減っているんじゃないかという疑問から、その背景を勝手に考えてみた。
柴田町では、どの年代が特に減っているんだろう?
私は七ヶ浜に住んでいて、柴田町に行くのはだいたい春。お目当ては船岡城址公園の桜。観光物産交流館さくらの里で地元野菜を見て、白石川沿いの一目千本桜をのんびり歩く。そして国道4号へ出て、渋滞に巻き込まれながら帰るのが毎年のパターン。
そんな中、ふと考えてしまう。
人が減る町は全国にある。でも、どこも同じように減っているわけじゃない。
じゃあ、柴田町の場合は?年代別に見たら、減り方に特徴ってあるの?
正直に言うと、私は25〜34歳のあたりに“谷”があるように感じている。その下の世代、つまり子どもたちも少ないままだとしたら、これからの町の形が少しずつ変わっていくかもしれない。そんな仮説を頭に置きながら、この文章を書いています。
年代の「穴」があると、町の雰囲気が変わってくる
「人口減少」っていう言葉、もう聞き慣れてしまった。でも慣れたくない。
本当に怖いのは、ある年代だけがぽっかり少なくなること。その“穴”は最初、誰にも見えない。静かに進んでいく。
たとえば桜の季節。観光客が増えて人であふれる。
船岡城址公園の山の上には平和観音がいて、スロープカーに乗る人も多い。しばた千桜橋を渡れば、白石川堤の桜も圧巻。出店が並んで、シャッター音が止まらない。にぎやかだけど、それはほんの数日。
桜が終わったあとの柴田町には、日常が戻る。
そのときに感じるのが、「町にいる人たちの年齢のバランス」。
たとえば買い物の場所。
イオンタウン柴田、ザ・ビッグ、ツルハドラッグ、DCM柴田店。車で行きやすいし、生活の中心にもなる場所。
でも、夕方の駐車場を眺めていると、子どもを乗せたチャイルドシートの数が少なくなっている気がする。そうなると、まずお客の層が変わって、次に商品が変わって、最後には「この町に住みたい」と思う理由そのものが変わってしまう。
もうひとつの買い物拠点、ヨークベニマルやユニクロが並ぶ柴田ショッピングプラザもにぎやか。でも、にぎわいが一か所に集中すると、そのぶん静かになる場所もある。便利さの影には、集約のリスクもあるんだと思う。
公共施設だって、利用する年代によって空気が違う。
柴田町図書館やふるさと文化伝承館は、船岡駅から歩いて行けるいい立地。親子連れが行きやすい場所。でも平日昼に人が少なければ、それは施設のせいじゃなくて、「そもそもその世代が少ないから」かもしれない。
槻木生涯学習センターも駅チカで便利。だけど、担い手が減ると、イベント数よりも雑談の量が先に減る。日常の声が少なくなると、やっぱり寂しい。
道路事情も影響してるかもしれない。
国道4号と柴田バイパス、槻木高架橋。移動がしやすいのは助かる。でもそれって、引っ越しもしやすいってこと。便利な道路が、出ていく選択の背中を押してる場面もある気がする。
数字のかたちを眺めて思ったこと
年代別の人口表をじっくり見てみた。
20〜24歳は2000人ほど。でも25〜29歳で1600人台に落ちる。30〜34歳もそのまま横ばいで1600人台。だけど35〜39歳になるとまた2000人を超えて、40代前半はさらに分厚い。
この谷、偶然とは思えなかった。明らかに、25〜34歳だけが凹んでいる。
そして、子どもたちの数も気になる。
0〜14歳は約3800人。全体の一割くらい。
65歳以上は約1万1000人で、三割以上を占めている。
このバランス。
昔と比べたら、まるっきり逆転してる。だからこそ私は、25〜34歳が少ないことと、子どもが少ないことが繋がって、町の未来をじわじわと形作っているように感じている。
もちろん、これはあくまで仮説。でもその仮説には、それなりの理由があると思う。
どうして25〜34歳が少ないのか?私なりの仮説
仮説はいくつかある。
まずひとつめ。
進学や就職で町を出て、そのまま戻らないパターン。
20代前半はまだ学生だったり、住民票がそのままだったりする。でも25歳前後になると、就職先が決まって生活が安定してくる。仙台に職場が多いなら、通勤圏である柴田町に住む選択もできるはずなのに、なぜか戻ってこない。通勤はできても、家族の送迎や生活との両立になると、「通えること」と「暮らせること」は別になってしまう。
ふたつめ。
結婚や出産を考えたとき、町が「選ばれにくい」場面があるのかもしれない。
家賃、間取り、保育園、病院、スーパー、職場の距離。比べる項目が多いから、ちょっとした差で他の町に流れてしまう。その決断は、案外あっさり決まってしまうもの。
みっつめは、そもそもこの年代が生まれた時代の出生数が少なかった可能性。
町のせいじゃない。時代の波。でもその波に、出ていく流れが重なると、谷はもっと深くなる。
静かに始まって、じわじわ効いてくること
たとえば、柴田町総合体育館で開かれる子ども向け教室。
参加者がぎりぎりだと、教室そのものがなくなってしまう。減った教室は戻ってこない。そして参加先を失った親子が、また町を離れる。
船岡駅周辺で春に行われる桜まつり。交通整理や誘導のボランティア。誰が担ってるんだろう?もし25〜34歳が少ないなら、40代以上に負担が寄ってるかもしれない。行事を支えるには、体力も気力も要る。余裕がないと続けられない。
槻木側にある「プチみちの駅 とみかみ」もそう。
週末に家族で寄れる場所だけど、家族層が減ると売れる時間がずれてくる。出荷量が変わる。売る人のモチベーションも変わる。目立たず、でも確実に静かに変わっていく。
私が次に気になるポイント
じゃあ、今後どこを見ていけば納得感が出るのか。
私はこういうところが気になる。
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25〜34歳の谷は、船岡エリアと槻木エリアで深さに差があるのか
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子どもの少なさは、町内のどの学校区に集中しているのか
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国道4号や鉄道(JR東北本線・阿武隈急行線)の利便性が、住み続ける理由になっているのか、それとも町を出る理由になっているのか
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大きな商業施設が集まりすぎて、他のエリアの元気を吸っていないか
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桜まつりのような行事の担い手が、特定の年代に偏っていないか
私は七ヶ浜町の海辺で暮らしているから、どうしても柴田町の「内側の空気」は外から見ている感じになる。でも駅前の明るさとか、スーパーの混み具合とか、そういう生活の音に触れると、数字以上に感じるものがある。
柴田町で特に減っているように見えるのは、たぶん25〜34歳。その下の子どもたちも少ない。
そこにはきっと、理由がある。私はそう思っている。
便利さも希望だ。東船岡駅の阿武隈急行線も、槻木駅の乗り換えも、暮らしを支えてくれている。だからこそ、「どの年代にこの町が選ばれているのか」もう少し丁寧に見てみたい。
桜の咲く春だけじゃなくて、何でもない火曜日の夕方とか、雨が降る六月の昼下がりとか。
そういう時間にこそ、町のかたちが見えてくる気がしている。
柴田町のことを外から見る立場として、書いていいのか迷う部分もあったけど、やっぱり気になったから書いた。
観光で見る町と、日常を支える町の顔は全然違うし、そこに住んでいる人たちの年代のバランスって、本当に空気を変える。
「何か変わった?」っていう違和感が数字に繋がって、そこから仮説が生まれて、気づいたら文字になっていた。
町を心配するというより、ただ見えた風景を書き留めておきたかっただけ。
春の桜もいいけれど、私は6月の雨の日の柴田町の空気もけっこう好きだったりする。
